oyu_ex_logの日記

フリーター歴3年6か月・元浪人生

【永久保存版】一発合格した俺が教える原付免許の取り方~勉強方法から一日の流れまで~

 

おゆの経験ブログ

こんにちは!!おゆの経験ブログの管理人のおゆですv

今回は一発合格した管理人が教える原付免許の取り方を完全解説させていただこうと思います!!

誰でもできる再現性のある方法なのでぜひこれを見て原付免許試験にチャレンジしてみてください^^

 

 

ちなみに、原付に限らずなんにでも使える勉強ノウハウは浪人時代に培ったものでした。かといって華々しく成功したものではありませんでした。一人の若い少年の苦難と葛藤を綴った下の記事も良かったら暇な時間に見てみてください!あなたの価値観が変わるかもしれません^^

oyu-exlog.hatenablog.com

 

 

最初に

なんといっても原付の免許は16歳から取ることができるので高校生のうちから公道を走ることができることが最大の魅力でしょう!また1日で取れて、学校に通う必要もないのもいいですよね!

とてもメリットの多い原付免許ですがデメリットもあります。

試験費用は他の運転免許に比べれば安いですが10,000円近くかかりますし、誤解している人が多いらしいのですが原付の免許は意外に難しくちゃんと勉強しないと取れません。

が!勉強方法については勉強の本質に触れるようなことから躓きやすいところもお教えしていますのでこの記事を参考にして頑張ってください^^

原付は普通自動車と違って免許取得したらその日にはレンタルできるところが多いです!それも原付ならではの魅力といえるでしょうね!

それではみなさんの原付に乗りたい欲が増したところで次に進みましょう‐‐b

 

まずやること

教材を買う

原付取ろう!と決めた人たちはお金を準備したり住民票を発行したりする前にまずは教材を買いましょう笑

原付免許取得にかかる費用でおそらく一番安いのが教材費なので過去のおゆくんのように”原付取りたいけどそんな時間ないなぁ”とか言って先延ばししまくってる人はまず買いましょう^^

”買えばいいのは分かったけどどこに売っていて何を買えばいいのか分からない”という方もいるかと思います。

その場合は二つのことに気を付ければ大丈夫です。

・中古じゃなくて新品の本を買うこと(貰いものでも古かったら新品買ってね)

・問題集がついているもの

この二つです。具体的に理由を話しますね。

 

新品の本を買う理由ですがいたってシンプルで

”最新のものじゃないと法改正に対応していない可能性があるから”です!

めちゃくちゃ単純な理由です笑

せっかく頑張って勉強したのに現行の道路交通法とは違うものを勉強してたら意味なくなっちゃうので渋らずに新品買いましょう!(知識がある方や中古をどうしても買いたい方はしっかり調べたうえで自己責任で^^)

 

勉強をする

 

二つ目の問題集がついている教材を買う理由ですが、勉強をちゃんとしてきた人たちなら知っているかもしれませんが勉強にはある法則があります。

それは”インプット3割アウトプット7割”の法則です。七三分けの法則とでも言いましょう。

七三分けヘアーのイケメンサラリーマン

七三分けの法則!!

このイケメンで覚えましょう笑

インプットとはいわゆる勉強のことで、教科書や単語帳などを見て頭に叩き込むあれです。

アウトプットとは試験や問題集を解くなどするあれです。

知らない人はびっくりするかもしれませんがインプットだけやっててもアウトプットしないとみにつかないのです。(厳密には効率が著しく落ちる。)

これは実は考えたら当たり前のことで、例えばサッカーでドリブルの仕方や強いシュートを蹴る方法などを人から教えてもらったり座学で勉強しても全く身に付きません。ボールを触って教わったことをやってみて初めてできるようになるのです。

勉強でもこれは同じで、ひたすら頭に詰め込んで出来た気になっていてもそれはサッカーで言うボールの蹴り方を座学で勉強しただけという状態と同じなのです。

(厳密には違うんですけど根本的なことは同じなのでわかりやすくするためにこの表現してます、突っつかないでぇTT)

 

そしてアウトプットすると”自分はこれができないな”とか”こういうところはできるな”とかいろんな気づきが得られると思うのでそれをノートとか教材に直接書き込んでもいいので大切にしてください。言ってしまえば勉強の本質はその気づきなので^^

 

アウトプットが大事なのは皆さんこれでわかっていただけたかと思いますが、具体的にどうすればいいのかというと、

問題集を解いて(アウトプットして)採点して、できなかったところとできたところを分析してインプットしなおしてまた問題を解いていくという流れで勉強していきます。

そのためには問題集が不可欠です!!もう一度言います。

問題集が不可欠です!!!

なので問題集がついている教材を買ってくださいv

 

”問題集と教科書みたいなやつを別々で買えばいいだけじゃないの?”

と思った意欲熱心な素晴らしいそこのあなた。

 

これは管理人がそうなだけかもしれませんが問題集と教材で二冊もあるとやる気が起きないんですTTオールインワン化粧水が売れるのはスキンケアにかかる時間やめんどくささやかさばったりとかの問題がすべて解消されるからですよね。それと要は同じ事なんです!

楽できるところは楽しましょう!

あと、もう一つ伝えておきたいことがありましてそれは一冊一通り終わったからと言って新しいものにうつらないことです。よっぽど原付免許の勉強でそんなことは起こりえないかと思いますが、素晴らしい意欲を持っている人も中にはいるかもしれないので忠告しておきます^^正直原付免許試験は教材一冊やりこんだら満点取れます笑

 

”ありがとう!よくわかったぜ、んで結局何買えばいいの?”

という方に管理人が勉強に使っていた教材を紹介させていただきます。管理人はこれだけで受かりましたv

最速合格! 原付免許 ルール総まとめ&問題集: ●交通ルールがイラスト図解で即わかり!●文章問題&イラスト問題8回分収録 | 長 信一 |本 | 通販 | Amazon

安くて薄くて分かりやすい、三拍子そろってるので迷ったらこれ買ってくださいv

もちろん自分に合ったものが一番なので本屋さんまで行って相棒を探してきてください!!

 

ちなみに管理人が上の教材でやっていた勉強方法は、インプットとして最初の方の”いわゆる教科書部分”を1日1時間で一周してから、問題集の一つ目を解いて、わからなかったところを勉強しなおしてもう一度知識を詰め込んで、問題集の2つ目をやってという風にやっていました。

最初の点数が100点満点中84点、二回目で88点、三回目で94点、四回目で98点でした。(合格点は100点満点中90点)

”意外とシンプルなんやな”

と思いました?そうなんです、めちゃくちゃシンプルです。交通法を全く知らない(駐停車禁止の標識が何かわからなかった)管理人ですらできたのでみんなもできる!

12時間かかったか、かかってないくらいかだと思います^^

ちなみに当日は全然勉強していないところが出てきたので94点で割とぎりぎりでした笑

 

一応管理人が思ったここを重点的に勉強したほうがいいかもという点を紹介しますね。

交差点から~m、右左折の~秒前に、駐車と停車の違い、専用通行帯、車両区分、追い抜き追い越し

この辺は最初に分からなくなるところかなと思うのでぜひ頑張ってください!!

 

お金、住民票を用意

当たり前ですがお金がないと受けられません!なので試験用のお金(8050円)は用意しておきましょうv

名古屋市民の方なら知っているかもしれませんが名古屋市はコンビニで住民票が取れません!その他自治体でもそういったことがあるかもしれないので遅くても三日前には住民票を取っておきましょう。

ちなみに名古屋市は区役所以外にも地下鉄で住民票が取れます。時間帯によっても変わるのですが基本一日はかかるので余裕をもって発行しましょう^^

 

 

当日の持ち物

教材買って勉強も完璧!んで、持ち物何?

と思ったことでしょう、いや、思ってなくても見てください。

 

・試験費用の8,050円

内訳は試験料1,500円と講習代と交付料の6,550円です。

ピッタリ持って行ったほうが徴収係の人に手間もかけさせず、時間もかからずいいのですがピッタリじゃないと受け取ってくれないなどということはないと思います。(平針ではそうでした!他は知らん!)

 

・住民票

先ほど話したように遅くても三日前には取っておいてください!

 

・証明写真

3.0㎝×2.4㎝の証明写真が二枚必要です。

自分や友達に写真を撮ってもらってそれをコンビニで印刷するのが一番コストと時間がかからないと思います^^

近いうちに証明写真を安くとる方法、お教えしますねv

 

・交通費

管理人は名古屋市内に住んでいるので1,000円程度でした。

住んでいる地域によって変わると思うのでしっかり調べて用意しておいてください。(試験代とか交通費とか全部含めて高くても1.2万円くらいでほとんどの人は済むと思います‐‐b)

 

・眼鏡、コンタクト

適正検査で視力検査があります。

普段眼鏡を付けている方やコンタクトを付けている方が当日忘れたら悲惨です。せっかく朝早起きして1日時間潰して挑むなら一発で終わらせるためにも準備はしっかりとしていきましょう!

あとカラコンは禁止らしいから気をつけてね!!

 

・ごはん、飲み物

地域にもよると思いますが、合格発表の待ち時間が長いと2時間くらいあります。(管理人は1時間30分くらい暇な時間ありました笑)近くにコンビニがない地域の方たちだと講習が終わるまでご飯食べられなかったりするので持参していくことをお勧めします^^ちなみに平針の食堂は、バッッッカ混みます。持っていきましょう笑

 

上着とスニーカー

管理人は3月末に受けに行ったところクッッソ寒かったので上着を持っていくことをお勧めします。管理人が受けに行った日は風が強すぎて原付の実技講習中風強すぎて寒くて死にそうでしたv

あと、夏だとサンダルで来る人もいるらしいんですけどスニーカーとか運動靴じゃないとだめなので気を付けてください!

 

・相棒と時間

勉強に使った教材、いわば相棒は持っていって空き時間に少しでも勉強しましょう!!

あと時間には余裕を持っていきましょう。管理人はぎりっぎりでした。

 

日程を決める

ここでようやくいつ行くかの具体的な日程を決めましょう。予約が必要な地域や試験の前に講習を受ける地域もあるそうなので自治体の警察HPで予約の有無などについては調べましょう!

だいたいどこも平日しか行けないと思うので学生の方は長期休みに行くのがいいと思います^^

 

当日の流れ

さぁ!やっと原付免許を取得する当日でっせ!みんなちゃんと勉強したかな?

ここからは地域によって大きく異なってくると思うので平針に限った話になりますが多分どこも似たような感じなので残りもサーッとみていってね^^

 

平針の朝は早いです。マジで早い。

まず、平針は原付試験が1日に2回あります。

試験が9:30~の早い日程と10:30~の遅い日程の2つあります。

”え、10:30~が遅い時間とか早すぎん?”初めて見たときは衝撃でしたねぇ..

実際寝坊してギリギリでした笑

管理人のように時間管理ができないみんなは早い日程の方に余裕を持っていけるようにしましょう。もし間に合っても人が多い日だと手続きに時間取られて遅い日程のほうを受けることになったりします。

また、一発塾を受けるよーって人はほぼ始発みたいな時間に出ないと行けなかったりするので頑張ってください^^

 

平針試験場の受付時間が8:45~10:00で、8:30には並び始めるので8:30頃には平針試験場についていると大安心ですね。

ちなみに平針試験場は坂の上にあるので近くのバス停から行こうとしてもどっちみち坂を登ることになりますが、平針運転免許試験場から行くとそんなに坂登らなくてもいいです^^b

平針駅からいくとご丁寧に”平針試験場行”と書いてある看板があるので、普段バスに乗らない人でも迷わず乗れるかなと思いますv

当の管理人は寝坊して9時30分に到着してギリギリ間に合いました(-_-;)

 

さて、無事試験場に到着したら11番窓口に向かってそこで証紙購入をします。

ただ、証紙購入の前に書類を書かなければいけません。この書類が2階に上がってちょっと行ったところにポイントカードの作成コーナーみたいなところがあるのでそこで記述します。どこにあるかわからなかったら周りの警察官のおっちゃんに聞いてね^^

終わったらその紙と証明写真をもって11番窓口に並びます。ここで試験料の1,500円を払うので準備しておくのがいいでしょう。電光掲示板とか、天井から吊り下がってる看板などに書いてありますが、分からなかったらとりあえずおっちゃんに聞いてね^^

 

この窓口でちゃんとお金払いました!!っていうシールを貼ってもらって書類の不備を直してもらうのですが、管理人はシンプルに字が汚くてめちゃくちゃ書き直されてました。赤ペン先生もブチギレるレベルで。ちなみにどうやったのか知りませんが合格者部屋みたいなところで証紙購入をせずに受験していた人がいたみたいで買いに行かされてましたね。原付免許でケチったのかな(多分違う)

 

おばちゃんに心の中で謝りながら次は適性検査に向かいます。眼鏡、コンタクトを忘れた人、カラコンを付けている人はここで脱落です。地下アイドルの握手会にありそうな何個かに分かれた小部屋に入り適性検査を受けます。適性検査の内容はただの視力検査で、合格したら合格ハンコ押してもらえました。

視力検査を終えたらその先の部屋に通されて書類の不備がないか最終チェックを受けます。すごく人のいいおっちゃんがニコニコして対応してくれました^^

 

そしたら事前準備はこれで終わりです。この時にはもう10:05とかで内心バクバクしながら4階の試験教室前の待合場みたいなとこに行きます。

空いた時間で相棒を見つめていたら10:15。

ドキドキしながらまた睨めっこしたら10:25。

そろそろやなと思って友達に連絡して時間をつぶします。

10:30、あれ、まだかな。

10:40、さすがに遅ない??と思って周りを見たらみんなもキョロキョロしてて安心しました。

結局試験が始まったのは11:30とかだったと思います。

 

怠慢公務員がよぉ、本当にご苦労様です。

 

それからみんなで試験部屋まで移動するんですがその日管理人は、前日やったフットサルで筋肉痛になっていたので試験管の歩くスピードに全然追いつけなかったのを覚えています。心の中では”歩くの早すぎだろこのボケ!!!”って思ってました。

そのあと試験部屋で鉛筆と消しゴムを受け取り言われた席に着きます。

目の前にかけてある透明な袋の中にスマホとかスマートウォッチなどの電子機器を入れます。一応モババとイヤホンも入れときましたv

そして問題を解いていきます。ページめくるのが異常に早くてページめくるときに音でかい人いますよね、あれ俺です。ちなみに平針では問題集を繰り返し使いまわすそうなので、問題集は持って帰れず、問題集に書き込みをするのもNGらしいので気を付けるようにしてください。

だるいシステム。素晴らしいサステナビリティ精神!

終わったらやっと一息付けますね、この時点で12時過ぎとかでした。あまり覚えてませんが試験終了から合格発表までに青色の機械で暗証番号みたいなのを設定しないといけなくて、これ後回しにしてる人たちが長蛇の列を作っていたので早めにやっておくことをお勧めします^^

みんなは友達と話すなりどっかご飯食べに行くなりできるかもしれませんが管理人はボッチで行ったのに加えて、持ってきたモババが充電切れていてスマホの充電も切れそうだったので近くのスギ薬局までガンダしました(1キロ近くあったと思う)。途中にあったコンビニで焼きそば買って食べてたらあっという間に合格発表の15分前。またガンダしました。

ガンダルート

めちゃくちゃ走ったなぁ笑

 

平針試験場に帰ってきて2階に上がります。

そしたらもうとんでもない人数が並んでました。300人は超えてたんじゃないかな。

youtubeとかで一回くらいは見たことあるかもしれないあの光景ですね。

管理人は人混みが嫌いなのですが目が悪いので人込みをかき分けて中に入っていきました。

ギリギリ8分前くらいにそこに間に合ったので周りの人たちと一緒に待ってました。

番号は3065でした。

5分前。まだかなー。

2分前。立つの疲れてきた。

1分前。そろそろだ!

13:01。あれ、まだかな。

5分後。”ただいま、採点に時間がかかっております。電光掲示板にて合格発表するのでもうしばらくその場でお待ちください”

 

またかよ!!!!!

合格発表の様子

画面が急に赤っぽくなってちょっと怖かった笑

結局20分くらい立ち続けてました笑

 

そしてその結果はもちろん...合格!!!94点でした!

(写真どっかいきましたTT)

 

浪人で受験落ちてたおゆくんは久しぶりに試験合格して涙出そうなくらいうれしかったというのは内緒^^

 

講習

”合格した人はこちらへ~!!”という声のするほうを見るとプラ板を持ったおじさんがいるのでそれについていきます。ちなみにこのおじさんも早歩きだったので足の筋肉ちぎれるかと思いました。

実はここからが気を抜けなかった。

 

講習を受ける部屋に着いてからは威圧感のあるおじさんたちが5人いました。

自分の持っている証紙と住民票の写し、講習代と免許交付料の6550円を準備してくださいと言われます。

ここでもたもたしてる人たちが何人かいたのですがその人たちは”話聞いてなかったんか?帰れ”とか言われててうーわ、怖いしなんか嫌なおじさんたちやなーと思ってました。あと、スマホ触ってたら即刻退場でした。みんなも気を付けてね!(ちなみに証紙購入を免れた例の人はここで帰らされてました笑)

 

手続きがあらかた終わると簡単な講習に入ります。

 

おじさんAが

”正直、今までに原付乗ったことある人いる??”

”ほんとにいないの??”

”僕ら警察ではないから取り締まらないから安心して、乗ったことある人いたら手挙げてみ??”

 

おゆくんは、”誰かに手を挙げてほしいんやろな、めんどくさいおじさん多いなぁ”と思っていたことと小学生の時に河川敷でモンキーという原付に乗ったことがあったこたから手を挙げました。

 

”うん、手下ろしていいよ。この後実技講習するんだけど実は乗ったことない人よりもさっき手挙げた人たちのほうがどっかにぶつかってったりするんだよね。なんでかというと調子乗っちゃうからなんだよね。”

 

 

 

原付乗れんくさせたろかこのクソジジイ!!!!!原付乗れんくさせたろかこのクソジジイ!!!!!

 

意地の悪いおじさんの講習を受けてから免許用の写真を撮りに行きます。

このときも早歩きでした。そんなに時間に追われてるん??

 

無事写真を撮り終えたらまた講習部屋に戻ります。

もちろん早歩きでしたが諦めてゆっくり歩いてました。

 

その後実技講習のために外に出ますが、この日はとんでもなく風が強かったのでいろいろと苦労したのを覚えています。実技講習は特にここで書くこともないので割愛しますがなぜかこの時にはおじさんたちは優しくなっていました。

多分、調子に乗ったまま公道に出ないようにするために伸びた鼻をへし折るためのものだったのでしょうが、にしてもなんなんだあのやり方は。

like a 圧迫面接。けどおゆ君はその時にはおじさんと仲良く話してました。

健康に長生きしろよ^^

 

実技講習が終わったらいよいよ免許発行です。

人生で初めての免許にかなり感動しましたね、最強の身分証ゲット!!

最後に暗証番号がちゃんと使えるかどうかみたいなのを機械でチェックして終わりました。

ちなみにその3日後くらいに名古屋から大阪まで友達と原付旅しましたv実はこの旅のために原付免許取りました笑

書く気になったらそれも記事にします^^

 

最後に

いかがだったでしょうか!!これで原付免許が大体どんな感じでとれるのか分かったかなと思います!

特に勉強を普段あまりしていない人や管理人みたいに道路交通法をほとんど知らないという人は苦労するかと思いますがこの記事に書いた勉強方法をちゃんとこなせば確実に受かるので頑張ってください!!原付取って素晴らしい原付ライフを送りましょう--b

もし何か聞きたいことなどあればコメントでお聞きください^^

それじゃあ、また~

 

 

 

ps原付の2段階右折思ってたよりもめんどくさい笑

俺の浪人失敗談

おゆの経験ブログ

 

 

俺の浪人失敗談

初めまして、管理人のおゆですv

当記事では現在21歳フリーターの浪人失敗談を話していきたいと思います。

というのも自分はいわゆる宅浪(自宅浪人)をしていたのですが、いかんせん一人ですべてを決めるという人生で初めての経験だったので何も分からず不安で仕方なかったことを覚えています。計画を立てる上でも、精神的にしんどい時でも誰かの経験談というものにはとても助けられました。その時私はありきたりな成功談なんてそっこらへんに転がってるけど、もっとリアルな体験談を読んで自分の今置かれている状況を客観的に把握したいし、地に足着けて頑張りたいと思っていました。

なので、長くはなりますが中学生まで遡り、鮮明な体験談をお届けしようと思います。

 

話を始める前に。

先に伝えておきたいのが、浪人しないで済むならしないほうがいいですが、浪人は全っ然悪いものではなく何ならその人が強くなるきっかけだと思っています。ただし、この記事は浪人を推奨するものでも否定するものでもないということをご承知いただきたいです!

自分を強く持てる人が浪人経験をその後の人生に生かせる人になると思ってます!

この時期きっと迷いながら浪人を決めた方もいるのかなと思うのでそんな方の助けになるような話ができたらと思い記事を書いていきます^^勉強の傍らに良かったら読んでってください!(勉強全くしてない子たちは先に勉強しよう!笑)

 

 

About Talking

 

 

カス中学生

今思えばここからすべては始まっていたのかも。

時は遡って中学三年生。

中学三年生のおゆくんは家庭があまり裕福ではなかったため昔から人よりも多く我慢を強いられてきた。と思ってました。(まぁ、それでも実際家庭環境は悪かったですね。)

今思えばどの家もある程度はそういう経験をしてきたのかもしれませんが当時中学生なのでとても視野が狭く、そんなことは毛ほども思っていません。

そして特別大学に行きたいという気持ちもなく、高校卒業してすぐに就職はなんとなく嫌だなと思っていました。幸い、自分で勉強をするのは昔から好きだったので学内の成績も上位10~15%程度に落ち着いていました。

高校受験を真剣に考えるようになってからは、通信制の高校でアルバイトとして働きながら自分で勉強をするか、自由な校風の進学校に行こうと思ってました。

昔は束縛や、上から何かを言われたりするのが嫌で自分がやりたいと思ったことしかやりたくないと駄々をこねてました(言うて今もです笑)。宿題は基本的にやらなかったので内申点もテストの点数でギリギリカバーしているといった感じでした。(それがかっこいいと思っていた激イタおゆくん)

すると唐突ですが中学三年生の夏に同じクラスの子に告白され、彼女ができてしまいました。(一番あかんって言われる受験生を地で行くおゆくん)

彼女ができたことなかったおゆは毎日浮かれつつ彼女に褒められたいという気持ちもあり勉強に一層励んでいました。

親に夏期講習だけお金を何とか捻出してもらって行き、順調に成績も伸び名古屋市内の自由な校風の進学校にもこのまま頑張れば受かるといった感じでした。

ここまでは良かった、うん、本当に良かった。

そして唐突ですが付き合った二か月後に振られました(なんで?)。

その子のプライバシーに関わることなので詳しくは話せませんがTT

それはそれはひどく落ち込んだおゆくん、やけくそになり勉強は一切せずにあることにドハマりしました。

遊戯王です。

前からやっていましたが受験があるからとやめていた遊戯王を再開し、勉強をほとんどせずにそのまま受験日を迎えます。

本来受けようとしていた高校から偏差値を7ほど落とし、自分が確実に行けるだろうという高校を受験したため、滑り止めは一切考えておらずギリギリになって一応滑り止めとして決めた高校は地元で噂の立ついわゆるバカ校でした。

そして受験が終わり自己採点の結果、合格ボーダー点数の8割しかとれなかったおゆくん。(満点が110点でボーダーが65点、おゆくんは52点でした)親の迎えの車の中で静かに静かに泣きました(男泣きならぬアホ泣き)。

「なんでこんなバカ校にいかなきゃなんねんだよ!!あいつ(元カノ)のせいだ!TT」

恐ろしいほどの逆恨み、お手本のような責任転嫁。

多分めちゃくちゃしょっぱい涙流してました。

そして決心しました。

 

めちゃくちゃ勉強して某旧帝大に行ってやる!!!

 

いやー、本当にすごい情緒。自分でもびっくりしますね。

なんだかんだ第一志望の高校は定員割れスレスレだったためか受かってしまいました。

親は喜んでくれましたが自分は納得していませんでした。

ギリギリで何とか受かった高校受験が終わります。

 

光と影の高校生時代

中学生の経験は1,2割程度は浪人失敗に関係しているかもしれませんが浪人失敗の6割の原因はこの高校時代に起因すると思っています。

それはなぜか。

 

あれだけ意気込んでいたおゆくんの高校に入って最初のテストの結果。

 

あれだけだらけて適当に受験してギリギリで入れた高校なので自分の順位なんて見れたものじゃないだろうと思っていました。

そしていざ受けてみたら案外簡単だったので、簡単なテストで高得点とってねっていうタイプか―と思ってました。

そしてテストの結果が返却され、ふたを開けてみたらクラス2位・学年8位。

(参考程度に1クラス40人、1学年320人、当時の高校偏差値58でした。)

いい大学に行くという高い志を持っている人が想像以上にいい結果が出たらもっと頑張ろうとするのが普通でしょう。

 

そしておゆくんは、めちゃくちゃ浮かれました。

 

どうしようもない。

 

周囲からは天才扱い・頭いいやつ扱い、先生からも名指しでおゆは頭いいやつ扱い。

よいしょどころではなく胴上げされてる気分でした。

完全に調子に乗ったおゆくんはそれからまじめに勉強するのもばからしくなりさぼり始め、授業スピードも遅すぎると言ってイキリ散らかしてました。(激イタおゆくん)

典型的なダメ人間。

ここから本格的にダメダメになっていくおゆくん。

 

剣道で中学時代に苦い思いをしたため高校に入ったら頑張って東海大会までは行ってやると思っていました。

部活に入ってみたら想像よりも部活のレベルが低く相対的に自分が上手く見えることから錯覚して調子に乗りました(デジャブ)。それに加えて顧問がめちゃくちゃ適当な人間で段審査の申込用紙を期間内に部員に渡すのを忘れるような人でした。(これは普通にヤバすぎる。)

そのせいで一度顧問と衝突して実質的に強制退部になった結果、自分の熱量と現実のギャップで完璧に燃え尽きました。

この時に自分のヤバさに気づいて何か行動を起こしていたらその後も変わっていたのかもしれないなーなんて今となっては思います。

 

 

そして不登校になる

 

高校が面倒くさいからサボったりだとか、スマホを夜中まで触って起きれなくてサボったりだとか、なんやかんやと理由をつけて一年生の後半から二年生6月に至るまでビジネス不登校をし続けました。ただ、それだけでは学校も休ませ続けてくれなかったので親含め周囲の人たち全員に精神的にキツイと嘘をついて休んでいました。(親は最初から最後まで嘘だとわかっていたみたいでした笑)

そしてその結果、本当に病み始めていきました。(自己暗示って本当に存在するんだなー。)

そのまま全然学校に行かなくなったのですがそれでもそんなおゆを見限らず仲良くしてくれる友達も何人かいました。(よくあの時の俺と仲良くできたなと思います。)

その中でも特に仲良くしてくれたピー太郎君(便宜的にピー太郎で)という友達にはものすごく助けられました。高校一年生のころからゲームをきっかけに仲良くなって毎日のように学校帰りのピー太郎の家に不登校のおゆくんは通っていました。(通学ならぬ通家)

当時はめちゃくちゃイキってたので不登校で勉強できてたらかっこよくねと思っていたことからピー太郎と勉強をするようになりました。(激おゆ)

良くも悪くも周りの雰囲気に飲まれたり人の影響を受けやすすぎるというところがずっと昔からの私の性格なので、高い目標を掲げていましたがその実、大してまじめにやっていませんでした。

やり方がわからなかったという言い方が正しいのかもしれないのですが、やり方を調べるのにかける時間が少なすぎた上に正しい努力をしていないことを当時俯瞰できていながらも、現実から目を背けていた節がありました。この時にちゃんとやっていなかったことを浪人してから後悔することになります。当時は”やり方が間違ってても時間かけまくったらいけるやろ”って思ってましたが、現実として人はいつまでも待ってくれません。そしてそれに気づかずマイペースにやっていたことをのちに後悔することになります。が、それはもう少し後の話。

そしてそこそこ頑張って勉強したのちに受けることになった六月の定期テストですが結果はクラスでドベ2。

それもそのはず、ピー太郎に感化されて勉強を始めましたがどこまでいっても不登校。人よりも頑張らないと身につくわけがないのに人よりもサボってばかりでした。あれだけ頑張ったのにと思い悔しくて涙を流します。(あれ?デジャブ…)

「家族がうるさいから勉強に集中できなかったんだ!!クソ!!!TT」

 

もうお分かりかと思いますが有言不実行が過ぎる本当にクソ人間でした。

なんで仲良くしてくれるやつがいたんだろうとも思いますし、よく俺とほぼ毎日一緒にいれたなぁと思います。特に高校時代の俺と付き合ってくれていた家族・友達・親戚・先輩・後輩・その他大勢の人たちには感謝と申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

結果が出なくて次からは頑張ると言い、実際に計画も立ててピー太郎に見せます。

二人で頑張ろうとお互いより一層やる気を出して尚、実行しないおゆくん。これを何回も繰り返していました。

正直こうして当時のゴミ人間の自分を俯瞰して記事を書くのは精神的に来るものがあります笑

それでも悪いことばかりではなく、一つだけいいことがありました。

一年生の終わりの文理選択時に、友達が行くし年収高そうだしと連れション感覚で理系に入ったド文系のおゆくんはピー太郎に迷惑をかけてかけてかけまくって2年の夏にしてやっと物理・数学の楽しさに気づきます。

もともと物理のテストで平均点60点中10点代しか取れなかったのが二年生最後のテストを受けて、平均点47点のテストで96点をとるようになるほど成長しました。とてもうれしかったのを覚えています。

結果、成績は多少は上がったもののクラスのボトム層という事実には変わりありませんでした。

そして2年生の後半、進路について真剣に考え始める頃です。

この頃には不登校も徐々に改善されて真面目に通学するようになりました。クラスメイトの誰よりも早く教室について勉強を始めていたので本当に見違えるように勉強していました。これは特にきっかけというきっかけはなくて積み重ねで勉強の習慣がなんだかんだついていました。

なんか他にもまだあった気がするんですけどいかんせん負の歴史なので海馬の自浄作用で記憶がかき消されているように思いだせませんでした(-_-;)そのまま高校三年生へ。

 

高校三年生の始まり、相も変わらずピー太郎は仲良くし続けてくれていました。

彼はとある旧帝大に生物学か何かを学びに行きたいと言ってより勉強に励むようになりました。おゆはなんとなく旧帝大を目指して勉強していました。(連れション感覚)

すると確か5月ごろだったと思うのですがかの悪名高い某ウイルスによるパンデミックが起きて緊急事態宣言が発令されました。

多分、2か月くらいの期間だったと思うのですが高校での授業が完全になくなり暇になりました。勉強をするにも一人では何をしたらいいのか分からなかったので最初のころはピー太郎の家に行ってましたがピー太郎から”受験もあるしウイルスにかかっても大変だからしばらく家にいてお互い頑張ろう”と言われました。

なんだかんだピー太郎もドベ付近からのスタートだったので二人で勉強し始めたころはトントンの成績だったのですがパンデミックの頃には彼はクラス内で5番目くらい、理系科目は学年全体でみて上位5~10%にまで成績を上げていました。ただ、負けず嫌いのおゆは今までやってこなかった自分に合う勉強方法を編み出すことにひたすら時間をかけることでピー太郎に勝ってやろうという気持ちで頑張っていました。ちなみにおゆは依然としてドベ争いトップランカーでした。(かっけえっす)

お互い頑張ろうと言い頑張り続けた二か月間、ほとんど連絡も取り合っていなかったので長期休校が明けてから久しぶりに学校で再会します。休校中の2ヶ月間で自分の成績にかなり自信を持てるほど勉強したのでピー太郎に胸を張って会えるなというおゆの人生でそうそうない清々しい気持ちで話しかけました。

”久しぶり!!元気だった?俺結構勉強頑張ってたんだけどピー太郎はどんな感じ?もう過去問とか解いた?”

が、彼はおゆが話しかけても素っ気なく、

”あぁ、久しぶり”

程度の会話でした。

一緒に弾丸お泊り勉強会(勉強してたら夜遅くなっていたのでそのまま泊めてもらってただけです笑)までした仲で年がら年中一緒にいたのでそんな対応などされたこともなく、一瞬戸惑いましたが

”イイねぇ、煮詰まってきてんじゃん^^”(キショい)

くらいに思って昼ごはんの時に話せばいいかと思っていました。

そして昼ご飯の時、ピー太郎は基本おゆと二人でご飯を食べながら勉強をしていたのですがピー太郎は他の友達とご飯を食べていました。おゆとはそんなに仲良くはないけど普通に話すくらいの子がいたのでそこに入ろうとしました。

が、ピー太郎にものすごく嫌そうな顔をされました。わかる人にはわかるかもしれませんが人を腫れもの扱いするようなあの目線と表情、雰囲気。

おゆ君は昔から割と嫌われたりいじめられたりしてきたのでその表情・空気感にものすごくおぼえがありました。そしてその一瞬で悟りました。

”もう、友達だと思われていないんだな”と。

”あー、やっぱり俺図書館で勉強したいし図書館行ってくるわ”

と言いその日は図書館で泣きながらボッチ飯をしていました。自分でも理由は明白にわかっていました。

 

俺のオオカミ少年ぶりに嫌気がさして、自分に被害が及ばないように距離を置いたんだろうな

 

彼はものすごくいいやつです。その証拠に俺の虚言に3年近く付き合ってくれていました。そして彼はものすごく清い人間です。挫折してそのたびに頑張って結果を残して、恋愛は実らなかったけど優しくて、独特のワードチョイスや人柄からみんなに愛されていました。そんな彼が腐っても友達だと一瞬でも思ってくれていた人間(おゆ)を見捨てないといけなくなったのは他でもない俺の責任でした。見てないと思うけどこの場を借りて、本当に感謝してるし楽しかった、申し訳ないと述べておきます。

 

”いや、重い重い”と思ってるそこのあなた。

申し訳ないのですが話はここからさらに重くなります。おゆの高校生時代はとんでもない暗黒時代だったので明るくはならないのであまりしっかり読み込まず、気楽に見てください笑なるべく重くなりすぎないように頑張って記事書きます!!

 

浪人を覚悟したきっかけ

 

それからというもの、絵にかいたようなボッチ生活を送ることになりました。一人で移動教室に行き、一人でご飯を食べ、一人で登下校をして、一人で勉強をして。

それなりに友達はいたので話す人はいたのですが一緒に帰ったり遊んだりするほどの友達は少なく、ピー太郎と疎遠になって大親友といえる存在を失って心に大きな穴が空きました。俺恵まれていたんだなと改めて実感しました。

 

友達を1人失ったんです。おゆくんは病んで病んで病みまくっていろいろありましたが一つの目標ができました。

 

絶対に某旧帝大に行って見返してやる

 

それから本気で計画を立てていくうちにどうやら確率のCやPの意味も分からない自分の実力で今から現役で受かるのは無理そうだぞということが分かったのでバイトを始めました。突拍子もないことに聞こえるかもしれませんが浪人をするということが分かった以上裕福じゃないウチで予備校に通わせてもらえるわけがないと思ったため一年間集中して勉強するためにも高校三年生の間は基礎をひたすらやって空いた時間でバイトをしようと決めました。

それから地元にある漫画喫茶のアルバイトでさっそく二足のわらじ生活を始めましたが最初とてもつらかったことを覚えています。他の子は親にお金出してもらって行けるのに自分は働かなきゃいけないなんてと思いながらもその分絶対こいつらには負けないとひそかに対抗心を燃やしていました。理解のあるバイト先だったためバイト後には何時間でも使っていいよと勉強するスペースと飲み物をいただいていました。本当にお世話になりました。

 

そして忙しすぎる夏休みが明けて初日。すでに事は起こっていました。人生で一番辛かった経験でした。

具体的に話すことはできないので書けませんがとある理由でいじめられました。一つだけ言えるのは数人から殴られるなどといういじめなどではなく今風のネットを使ったガセ情報からくるいじめでした。(キッツい内容なので察してくれるとありがたいです笑)分かりやすく規模感で言うとパトカー2台に乗って警察が学校に来るレベルでした。(後輩から聞いた話なので真偽のほどは定かではありませんが。)

 

”あれ見た?”

”やばくねww”

”キモすぎるよね”

”犯罪者予備軍って感じW”

”おゆとは関わらんとこうぜ”

 

上げていったらキリがありませんが学校に行ったら異質なものを見る視線を浴びせられながら、上の文言がいろんなところから聞こえてきます。普通に考えてあり得るはずのないことを、おゆがしたとどうやら他校の生徒きっかけに言いふらされていたみたいでした。

”冷静に考えてそんな何の得にもならんことするわけなくね????”と思いましたがみんなにとってその内容が何かはどうでもよかったんだろうなと思います。

 

1年のころから調子に乗りまくって不登校にもなって何回も先生からの生徒指導を受けて、しまいにはクラスで授業中に先生と口論し始めることが何回もありました。

嫌われていたんでしょう、きっと。人は鏡です。嫌な思いをさせれば自分も嫌な思いをする。それが世の常です。

おゆをいじめても大丈夫というような空気感が学年中に広まっていくと同時に、からかいたいだけの奴から本当におゆを気に入らないやつまで、いろんなやつの的になりました。

 

全員が全員おゆくんをいじめていたわけではなかったのですが一大胸糞ムーブメントの渦中にいる人間と仲良くしたいと思ってる人もいるわけがなく、もともと仲良くしていた友達と話したら少しは気分が楽になるかもと思って藁にもすがるような気持ちで話しかけに行きました。

”よぉ!久しぶりやん元気しとった?^^”

”あぁ、うん”

その子はもともと荒波たてずに生きていきたいというような性格で静かな子なので人から目を付けられるようなことは避けていました。受験前の大事な時期に火だるまになったやつが近づいてきたんです、自分も燃えるわけにはいかなくてそうせざるを得なかったんでしょう。

 

その瞬間から世界に自分一人で存在しているような気持になりました。

その日に先生にも呼び出されました。

 

”今な、何が起きてるかは知ってるよな。今起きてることなんだけどお前が加害者側になる可能性もあるんだ。何があってもそのきっかけとなった他校の生徒に直接連絡したりすることがないように。その子とは先生が学校として今連絡とってて、その子に何かあってはいけないからその子を守らなきゃいけないんだ。守秘義務があるからこの内容を警察に言うこともできない。学校はやめずに通い続けてほしい、あと少しなんだから頑張れよ、以上。”

 

”自校の生徒よりも他校の生徒を守ることでこの件を解決させるんじゃなくて沈静させようとしてんだな、公務員で家族がいたら一人の生徒のためにリスクは取れないよな”

 

高校一年の不登校時代に、教育委員会での出世を目標に頑張っているらしい担任に

”この学校にあんたの居場所はないから”

といわれていたこともあり、そもそも通っていた高校の教師に懐疑的だったのですがこれを言われてから完全に信用できなくなりました。

 

誰も俺を俺として見てくれていなかったのかもしれない、担任くらい嘘でもいいから庇ってるような言い方してほしかった

三年間でできた大切な友人を失って3年間という年月をただただ消費して自分の名誉も失って。昔からなんも変わってないし、何してたかとか楽しかった記憶とか何も思いだせないし、今まで何してたんだろう、悲しい、寂しい、怖い、辛い、やり直したい、戻りたい

 

 

こんなに辛いなら、すべて失ったなら、死んだほうがいい

半年以上もの間ずっとそう思っていました。

 

親に言われ頑張って二週間ほど通いましたが限界を迎えて転学することになります。

書類の都合上2か月後の転学になると言われ、11月に転学します。

それまでの二か月間は何をしていたのかほとんど記憶がありません。

覚えていることはその二か月間は特に、人に見られると極度に怖くなり手が震えていました。4日に一回くらいの頻度でフラッシュバックして吐きまくってました。何も食べられず10㎏近く痩せました。ただ、バイト中は忙しいバイト先だったのでその時間だけは何も考えられずにいられて楽だったのを覚えています。

 

夏休み中に浪人費用として頑張ってためていたお金も高校の転学費用となり消えました。

勉強なんて全く手につきません。親とも仲が悪くなり実家にすら居場所がありませんでした。

すべての物事に置いて気力が出ず、本当に人生のどん底にいました。

 

が、そんな時中学時代の剣道部の部員だった同い年の友達(以降ハムと呼びます)に助けられます。

彼はシンプルに暇だったんでしょう。高校を転学するまでの間、毎日何時間も深夜にハムの家の前で駄弁っていました。今まで何回も遊んだことのある友達ですが特別仲が良いということもなく、何なら気難しくてノリの悪いやつという印象でした。今でもその印象が見受けられるなあという場面はありますが(笑)とてつもないほどに意気投合して毎日話を聞いてもらって、同じバイトをやり始めたりしていました。ちなみに一緒に住み始めてもうすぐで二年経つルームメイトがハムです。

 

まだ短い人生ですが今まで生きてきて、きっと俺は運は悪いけど人には恵まれているんだろうなと思います。いつか話しますが、浪人が終わってからもたくさんのいい人たちに恵まれています。いつもありがとなみんな^^

 

二人でアツい話をして、一緒に働いて、ハムが家を追い出されたときは一緒に野宿して、二人で花火して、カラオケに行って、滋賀県までサイクリングに行って。

なんやかんやで楽しい時間を過ごして、順調に元のおゆに戻っていきました。

その証拠に、まだ自分のことをネタにしている奴がいるということを聞いて当時を思い出して辛くなったのではなく

”まだそれが面白いと思ってんだ、受験勉強しろよこいつアホくさ”

と思うようになっていました。

ここまで来たらもう無敵のマインドのおゆくんの復活なので何てことはなくなります。

”てか俺もともと学年上位だぞ、お前らみたいなアホ共は俺がこれから結果出して黙らせて俺にしっぽ振らさせてやるよ”

 

久しぶりの激イタおっゆ、泣けてくるねTT

 

ピー太郎に迷惑をかけたこと、周囲にバカにされたこと、中学生から何も変わっていないこと、自分の夢をかなえること。

もういい加減口先だけの自分は嫌だ、馬鹿にされてばっかは嫌だ、俺はこんなもんじゃない

いろんな思いを抱えて考えて考えて決断をします。

 

名古屋大学に行く。

 

それからバイトを頑張り、最低限の勉強をして、人の目に出ても大丈夫なように自分の心を癒すためにいっぱい遊びました。

一応現役で私立大学一校と名古屋大学を受けましたがズタボロでした。

浪人期から受験そして

三月中旬。

さて、そんな理由で浪人を決意したおゆくん。もともと浪人費用として貯めていたお金は高校の学費に消えたのでバイトをし続けるしかありませんでしたが、それでも足りないと気づき親を説得しました。母親は中学生の時の夏期講習の時同様に助けてくれます。

 

予備校に通うのは絶対に無理だと家庭状況からわかっていたのですが不登校だったこともあり、特に数学Ⅲと有機化学に関してはほとんどノータッチだったので自分で勉強して完璧に仕上げるのは無理だと思い、どうにか誰かに教えてもらう方法はないかなと考えました。

その時は某〇田塾全盛期だったのでそこも考えましたが、予備校じゃない塾にしては高すぎると思い諦めました。しかし某塾の自学自習のやり方に関しては再現性があると思ったため、他の塾で似たようなことができないかと考えた結果、個別教室のトライさんを見つけました。

 

これ以降塾に関してあまり詳しく触れないのでここで触れておきますが、おゆが通っていた校舎は中学生から高校生が多く、浪人生はおゆくんとたまたま同じ塾に通うことになったらしい高校時代の友達の二人だけでした。ちょうどおゆくんが入ったタイミングで塾長が変わって、新しい塾長に高校時代の話や浪人することになった理由、お金を自分で出すことなどを話したら境遇に同情してくれて、

”俺も普通に一般企業に就職したけど大学受験で後悔して未練があって教育業界に戻ってきた身だから、後悔してほしくないと思ってる。受講費出すとかは家族がいるからできないけど、できる限りのことは何でもしてあげるから何でも言ってくれ、いくらでも付き合うから。”

と言ってくれました。

実際浪人が終わってからも菓子折りもって定期的に顔出して自習室を使わせてもらったりしていました。お世話になりました!!

 

話を戻しますね。

母親に相談した結果、”半分なら出してあげるけど残りは自分で出すこと・基本的にお金の管理は自分ですること・模試代、受験費用は自分で貯めること”という3つの条件付きでお金を出してもらえることになりました。

正直かなりきつい条件でしたがもともと浪人大反対の両親を母親だけ無理やりねじ伏せて協力してもらったのでとても感謝して受験勉強に臨みます。

高校生の時には考えられないほどの自主性を持って勉強に取り組みます。最初のうちは。

 

これ以降の記事を読まれる方のために先に忠告しておきたいのが、おゆは受験受かっていないので反面教師として読むようにしてください。なので具体的にどの模試で何点取ったなどの情報は必要最低限に留めて、どちらかというと内面の・マインドの話をさせていただきます。ただし、思考のプロセスに関しては今でも役に立っているところはあるのでぜひ必要なエッセンスだけ盗んでその他はマネしないように気を付けてください^^

 

物事の初めにまず皆さん何をするかといえば計画を立てますよね。

当時のおゆは ”計画を立てる...?それってやらなかんの??” という風に本気で思うほどの無計画ボーイだったのでまずは計画の立て方を調べます。

いっぱい調べてるうちにどうやら逆算して計画を立てるのがセオリーらしいと知ります。名古屋大学に受かりたい彼はゴールを名古屋大学合格にします。次に具体的に一年でそのレベルに達するために必要な勉強時間と勉強内容と教材の種類とお金と合格点数と合格ボーダーと、他にもその他もろもろを調べ上げました。おそらくこれを調べるだけで丸2日はかけてます。

次に計画を立てる上で必要なこと二つ目が、自分の今の実力がどのくらいなのかを知ることらしいのでセンター試験過去問を買って解いてみることにしました。また、おゆくんは不運な世代として知られる02世代なので共通テストに過去問は存在しません。(厳密には自分が受けた代のものがあったけど答えほぼ覚えてるから意味なし)なのでセンター試験の問題と、共通テストの予想問題(赤パック・青パックとかいうアレ)を買ってきます。

そしてノー勉の状態で解いてみました。

正しい結果が確認できるようなものがなかったので正確ではないですが、センター試験が数1・A、数2・B、物理・化学、倫理政経、英語、現代文・古典の7科目合計で370点(40%)とかでした。

大過去問は1300点満点中200(15%)点とかでした。

 

”笑えないやん、これ”

 

人生で初めて圧倒的ボトム層にいることを体感します。いままで中学高校で自分よりも勉強ができなかった人たちは、自分がだらけている間にこれを理解して勉強して結果を出して大学に行ったのかと思ったら自分が失った高校三年間の重さにようやくここで気づきました。

ただ、何を悔やんでも時間は戻ってこないので計画作りに再び取り掛かります。

自分が圧倒的カスということを知ったおゆくん、そこで冬までに共テ7割、名大二次試験3割という長期的な目標と、夏までに共テ5割、数Ⅲを半分くらいは一通りやるという中期的な目標を立てて短期的には6月までに数一・A・二・B、物理の力学・波動・電気、理論・無機化学、英単語・英文法らを中学生の内容から基礎を大事に一通りやることに決めます。

そして具体的に何をどのくらい一日にやるのかなどを考える際は一度仮の計画を立てて、それを実行に移してという試行錯誤を何度もしました。その結果わかったのが

”果てしない時間の勉強しないとたどり着けないぞ”

ということです。

理論的には一日12時間勉強しても足りませんでした。

なら質を高めればいいじゃんとなりそうですが質は量があって初めてだんだんと良くなっていくものですのでそれを考慮しましたがなお足りませんでした。

そして彼はある結論にたどり着きます。

 

バイトでお金貯めながら勉強をするには睡眠時間を削るしかない

 

個人的に浪人中にやってはいけない行為1位か2位にこれが入ってくると思ってます。

メンタルがやられやすくなる行為でかつ、彼は高校時代にうつ病を発症していたので再発するのは必至、単純に毎日辛いし集中力もなかなか続かない。睡眠時間が短いことがよくないということはデータにも出ていて、ご存じの方も多い忘却曲線で有名な記憶の定着率について、十分な睡眠時間をとれている人と12%も定着率が変わると言われています。(知らない方はエビングハウス忘却曲線というものを調べてみてください。)

ただしおゆくんは

”睡眠時間削ってでも勉強するほど追い込まなかんやろ!!”

などという根性論でそう思っていたのではなく、現実的にそうするしかなかったのです。

 

彼の一週間のスケジュールですが、月曜日から金曜日までは朝6時に起きて家で昨日の復習をして9時から図書館で勉強、13時に5分で昼ご飯を食べ終わって16時まで勉強、17時に塾に移動してわからなかったところを聞いて20時から22時まで自習、23時までに家に帰ってきて夜ご飯、お風呂を30分で済ませて2時まで英単語をやって寝る。

土日は朝7時に起きて8時まで昨日の復習をして9時から16時までバイト、1時間バイト先で勉強して17時から21時まで別のバイト、22時まで塾で自習をして23時に家に帰って30分でご飯と風呂を済ませて2時まで英単語。

 

こんな生活が何の問題もなく続くわけもなく、途中で寝落ちはもちろんのこと塾・バイトの時間に寝坊、朝も起きられなくなり昼夜逆転、挙句の果てに十二指腸潰瘍発症、おそらくうつ病も再発していました。

 

もし浪人、特に宅浪を考えている方がいたらおゆの経験則から伝えたいことがあります。

 

頼れる人がいるなら頼りましょう、自分ですべてをやれる人はそもそも浪人しなくても合格しています。

どうしても行きたい大学があってそこを目指してるなら一年働いてお金を貯めるなり親とか親戚からお金を借りるなりして浪人の一年間にフルコミットしましょう。働いてるうちに忘れそうだからいやだと思うかもしれませんが、何でもかんでもやろうとするほうが実はかえって効率が悪いです。

 

この二つは管理人のおゆから伝えたい浪人の現実的な側面です。

あなたが天才でもない限り一人で全てやるのは無理です、絶対に。そしてそんな風に頑張って頑張って体と心を壊す人が増えてしまうのはとても悲しいです。盲目になっているかもしれないのなら一日くらい立ち止まってても悪いことはありません。自分と向き合って落ち着いてから前向きな気持ちで頑張りましょう。

 

 

やってはいけない行為だとしても、おゆくんは根底にすぐに働きたくないからっていう理由もあって大学に行きたいのに、一年か二年ブランクが生まれるなんて考えられないと思っていたので、やるしかないと思い毎日過酷な日々を過ごし始めます。

体調については先ほど触れたのでこれ以上は触れずに皆さん気になる成績について話します。

しかし、当時の記録がほとんどなくなっていて分からないので記憶を頼りに書いていきます。なので数字は当てにしないでください笑

 

過酷な日々を乗り越えて受験した最初の模試は五月のオンライン模試でした。

オンライン模試??と思ったそこのあなた、おゆくんも全く同じことを思いました。

”は?オンライン????”

オンライン模試と銘打った模試の実情は本当にオンライン模試でした。パソコン・タブレットスマホで問題を読んで端末に答えを書き込んでいく。

これ、言い訳なんですけど本当にオンラインになった途端にできなくなりました。途中式などを書いても読みにくい・思考が整理されない・パッと見で問題の概要が把握しにくい等デメリットだらけでした。

それでも四月頃からそれなりに頑張っていたので900点満点中410点(45%)まで上がりました。浪人期に入ってからこれまでに高校二年生の途中までの範囲しか勉強していなかったので

”基礎を詰めただけでこんなに上がるんだ”

と思いました。そして模試代を無駄に感じたためそれ以降オンライン模試は受けていません。

 

6月

ここまで人が変わったように頑張れたおゆくんですがいつも通り計画に変更がないかどうかの振り返りをするなかでYouTubeを見ている時に”たまには休めよ”ということを言っている動画を発見してしまいました。

 

あーぁ、見ちゃったー

 

怠惰代表おゆ君はこれを見て”あ、休んでいいんだ”と思いました。実際体も限界を迎えていたので休むことが問題だったわけではありませんが休みすぎるのがおゆくんの問題点でした。

一日ガッツリ休む日を作って友達とずっと遊んで物凄く楽しい一日を過ごしました。何も辛いことはありませんでした。浪人生としてやるべきことを何にもしませんでした。そんな快楽を経験してからおゆくんが元の生活に戻るのが難しいことだなんて明白です。

毎日友達と勉強後にご飯食べに行くところから始まり、丸一日サボるようになり、しまいには一週間何もしない日があるなんてザラでした。夏休みという現役生が追い上げてくる大事な時期にそれをしてしまったので模試の順位や偏差値、志望校の判定なんかも落ちに落ちました。

夏休みが終わるころに模試がありました。確か共テ模試と、もう一つが名大実践という名前だったと思います。

あまり覚えていないのですが、共テ模試は40%、名大実践は10%(基本的な簡単な問題だけでそれくらいはとれます)とかしか取れなかった記憶があります。

めちゃくちゃ泣いて帰りました。

悔しいとかそういう気持ちもありましたが、やればやるほど自分の実力と名大合格までのハードルが遠く感じて辛くて辛くて仕方ありませんでした。

 

正直心と体がこの頃には限界でした。

 

気丈にふるまうようにはしていても、ずっとピー太郎のことを引きずっていたし、高校転学時の傷なんて癒えていません。多分それは今もです。シンプルにきつすぎる生活をしていて、家庭内、特に父親と仲が悪くなり目が合うだけで睨まれて舌打ちをされるような関係でした。

勉強を頑張っててもお金のこと考えなきゃとなり、バイトの時間を増やしてより寝られなくなってその分睡眠時間も減っていって、結果起きられなくなり勉強もできずバイトにも行けない、それを見た父親からの印象はさらに悪くなる、バイトに寝坊してバイトに行けていないからお金が足りなくて借金を抱える、返済で模試どころではなくなり模試も受けられなくなる、その結果どんどん病んでいきお金をもっと稼がなきゃ、もっと稼がなきゃ....

夏後からはずっとこのループでした。辛かったです。いろいろ知られているし人と話すのが怖いしで中学生、高校生の時の友達と話すこともできない。一人でした。

 

9月

この時に確か過敏性腸症候群がひどくなり、十二指腸潰瘍を発症しました。

そして自暴自棄になってこの頃から女遊び、酒、ファッションなど浪人生がすべきでないことに手を付けていきました。それでどんどん時間は過ぎていきました。

ここまで読んでくれている皆様には申し訳ありませんがこの時期は特にこれを頑張ったということもなく、浪人生としての最低限の勉強時間を確保していただけでした。(一日3.5~8時間)一応共テ模試の点数が62%まで上がっていました。

なので特に話すことがないのでいきなりですが受験期に飛びます。

 

1月

この頃には名大に受かるなんてみじんも思っておらず、何ならどの大学にも受からないと思っていましたが一年浪人して親にお金を出してもらってる以上、特攻するしかないという状態でした。ただ、浪人初期のころの貯蓄とその後の多少の頑張りで共テが70%超えるようになってきたので受かるとは思わないけどもしかしたら受かるかもしれないし名大に捧げた一年だったからもうこのまま名大に突っ込もうと決めました。

 

そして迎えた共テ当日。何のめぐりあわせなのか共テ会場は名古屋大学でした。

共テ一日目、数一Aの後に数二B、理科でした。

 

数一A 。不幸な02世代に生まれたおゆはまた洗礼を受けることになります。

歴史上一番平均点が低かった数一A の年でした。確か平均点が30点から40点の間だったと思います。問題を見て絶望しました。泣きながら解いていました。何もわからない、時間だけが過ぎていく、誘導に乗れない、計算量が多すぎる。

 

数二B。平均点が20点代だったと思います。

これが歴史上一番平均点が低かったかどうかは覚えていませんが全くできませんでした。

数一A・数二Bは家に帰ってからの自己採点の結果200点満点中、62点でした。

 

数学を引きずったまま受けた理科は比較的簡単な年だったと思うのですが、物理は74点、化学は50点代でした。

家に帰ってからは涙は出ず、ひたすら絶望していたのを覚えています。

 

いろんなモチベーション上げてくれる動画を見て、何とか切り替えて国語で180点、英語で80%(RLの2つがあり、得点配分忘れたので%で。)、倫政で90点をとればまだ何とかなる。

その気持ちで迎えた共テ二日目。

 

結果から言うと国語は7割程度、英語は6割程度、倫政は8割弱でした。

結果合計で50%ちょっとでした。

絶対に名大には受からない点数でした。共テが難しかったとは言え、名大に受かる人ならこれくらいはできていて当然です。

当時名大志望の浪人友達がいたので聞いてみたらみんな低くても数学が6割を超えていました。

 

共通テストが終わって親に結果を伝えました。

父親にはボロクソに言われました。

母親からは黙って聞いてくれてそれから

 

”名大受けるんか?”

と聞かれ

”わからない”

と答えました。

 

二日間が終わって自分の部屋でボーっとしてました。この一年間、今までの人生、何してたんだろ俺。

残ったのは大量の教材とノート・飲食店でのスキル・借金・中途半端な学力。

希望を持ってた時の俺ってなんであんなに頑張れたんだろう。

辛いとかではなく、悲しいとか悔しいとかでもなく、完全に人生のレールから外れたな俺。そんな風に思いました。

それから数日間何をしていたのかも覚えてませんがひたすら自分がどうしたらいいのか、何を本当はしたかったのか、小さい頃の俺は何になりたかったんだろう、こういうことを考え続けていました。そして、こんな風に思いました。

 

もっと広い世界を見ないといけないのかもしれない

 

目標に向かって頑張るだとかこれになりたいだとか否定はしないけどそれしか見えていない状況は危険だ。なぜなら今の俺がこうだから。海外にはギャップイヤーという考え方があるらしい。人によっては1年から長いと3年くらい。俺もギャップイヤーを過ごそう。自分でいろんなことを一人でやるにはまだ早すぎたんだ。

 

今年は名大諦めよう

 

色々あり、二週間くらい考えていったん受験から離れるのも大事だと思い受験をやめることにしました。なので浪人期は実は共テ以外何も受けていません。

それからいろいろ考えてやりたくないと以前の俺なら思っていたことにチャレンジしてみようと思い、今までお世話になっていたバイトを全てやめてキャッチのバイトをすることになります。ここからフリーター人生が始まり最高の時間を過ごして、最高の友達と、一生一緒にいたいと思える彼女ができるのですがそれはまた別の話。

 

こうしておゆくんは充実したた三年間と欠けた三年間から続く、長く短い一年に幕を閉じました。

 

まとめ

いかがだったでしょうか!!

浪人時代は正直薄っぺらいです笑

それまでの積み重ねで自分は浪人しても頑張れないやつになってしまっていて、それに気づいていなかったので失敗したのかなと思ったのでメインはどちらかというと高校時代の話です。

ただ、失敗は成功のためのピースだと思っているので後悔はしていませんV

この記事を読んで感じたことや反面教師にするところ、参考になることなどがあれば幸いです!

 

この記事を読んで

”やっぱり無理は良くないんだな”

”こんなだらけたやつにはならないでおこう”

”これから俺も浪人生だけど頑張ろう”

”友達を大切にしよう”

”なげぇよ”

”結局何が言いたかったんだろう”

等々いろんなことを感じてくれていたらうれしいです!(できればポジティブな感想がいいけど笑)

 

管理人は浪人時代が終わってからしばらくの間、感動的な話を聞いても、嫌なことをされても、うれしいことをしてくれても、何をされても喜びも悲しみも怒りも感じませんでした。心の底から笑えませんでした。

世界は灰色でした。

 

無理をしすぎないでほしい。みんな楽しく笑顔でいられることを大事にしてほしい。

ブログを始めて一発目にこの話を書いた理由はここにあります。少しでも読んでくれた人が幸せになれる選択をとることができるようになれば幸せは周りの人にも伝染してハッピーな世の中に少しでもつながると思っています。

そのために自分ができることは少ないですが、自分の体験談を話すことはできます。自分の体験した不幸の道を歩む人が少しでも減ればいいなと思います。

今後もおゆの体験談をどんどん話していくのでよかったら定期的に覗きに来てください^^

最後まで読んでいただきありがとうございました!!次の記事でまた会いましょう!!

 

 

ps 17488文字は多いわ

ブログ始めました^_^

おゆの経験ブログ

 

こんにちは!この度おゆの経験ブログを開設したおゆです!

21歳元浪人生のフリーターが今までの経験を元に皆さんに役立つ情報を発信していきます^_^

当記事では私の自己紹介と今後についてのお話をさせていただきたいと思いますのでぜひ最後までご覧下さい!

 

About Talking

  • 簡単な自己紹介
  • 主に高校時代からの略歴
  • 将来の夢語り
  • 今後の発信内容

 

 

簡単な自己紹介

改めてみなさん初めまして!管理人のおゆですv

19の時に家を出て現在名古屋市に住む21歳です。

今までに居酒屋・焼き肉屋を始めとした飲食店を約3年半してきました。

他にもキャッチや夜職・事務・ブライダルなど様々な業種にチャレンジしてきて今はパチンコ店で働かせていただいております^^

好きなものはたくさんありますが飛びぬけて嫌いなものは自分の運のなさですTT

これから面白い記事をこの世にたくさん生み出してやろうという気持ちで頑張っていきますのでお願いします!!!

 

主に高校時代からの略歴

小中高と問題児だった私は目立っていたのかよくいじめられてきました。(いきなり重くてごめんなさい笑)調子乗りなところがあったので周りの人からすごく嫌われていたのを覚えてます。

それが積み重なり高校時代に不登校になりながら通っていましたが、あるとき酷いいじめを受けて通信制の高校に転学し、卒業しました。

もともと進学校に通っていたことや、いじめによって精神を病み満足に受験勉強ができないまま大学を受けて落ちたことから学歴コンプレックスになり浪人を決めました。

一年浪人した結果第一志望に落ちてしまい、フリーターになりました。

それから約二年ほどフリーターとして生計を立ててきて今に至りますv

 

将来の夢語り

さて、いじめによって高校を転学して浪人したけれど受験失敗してフリーターにならざるを得なかったおゆは一見絶望のどん底にいるかのように思えますが案外そんなことはなく今はたくさんのいい友達に恵まれて将来に対して希望をもって生きています!

かといってこのままフリーターを続ける気はなく、貯金がたまり次第あることにチャレンジしたいと思っております。

 

そのあることとは、古着屋経営と飲食店経営です。

 

私はかなり多趣味でして、今思いつくものだけでも

サッカー、プログラミング、英語・ドイツ語学習、古着、料理、自転車、旅行、アニメ、睡眠等々。。。

元よりやりたいことはとても多かったのですがその欲が留まることを知らず、アルバイトという限られた経験だけでは物足りなくなりいっそのこと経営しよう!という結論に至りました。

まだまだ勉強中でなにも手を付けられていませんがその様子も発信していけたらなと思ってます!

若造の夢を追いかける姿を応援していただいたり、自分も一緒に頑張ろうと思っていただけたらとてもうれしいですⅴ

 

今後の発信内容

今後の発信内容は大きく分けて3つあります!

 

・おゆの経験談

成功・失敗問わず今までの経験を元に情報を発信していくので皆さんが立ち止まった際に一歩踏み出す勇気を与えられるような記事を書こうと思ってます!

・おゆのお役立ち情報

19歳で家を出て右も左もわからないまま(今も手探りですが笑)もがいてきた経験から、本当にお勧めできるものやサービスなどを発信していきたいと思いますv

・おゆの夢軌跡

先ほど記述した経営者としての夢に向かって頑張る姿を日記のようにラフに発信していきたいと思ってます!

 

現段階では3つですがやりたいことがいっぱいあるのでまた何かしら別の記事を投稿するかもしれません^^

 

まとめ

まずはここまで読んでくださってありがとうございました!

これまで簡単に自己紹介などさせていただきましたがどうだったでしょうか?

こんなこと聞きたい、こんなこと教えてほしい、これ紹介して欲しい、これやって欲しいなどありましたら、人としての尊厳を失わないものであればどんなことでも皆さんの代わりに私の可処分時間を消化して発信していきますのでお気軽にお申し付けください!

私自身初めてのブログ投稿になるのでこの程度の記事を書くのに三日間も費やしまして、すごく大変なんだなと実感しましたTT

今後はどんどんパワーアップした記事を投稿していきたいと思ってますので今後もどうかよろしくお願いします!

 

おゆの独り言

花粉酷くて辛いなTT